JAMAICA Rasta Nation

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ジャマイカ  太陽音色島過去今 

 

 カリブ海に浮かぶ小さな島国、何がというわけでもないのに何故か気になる、私にとってジャマイカとはそんな国だった。 

 

 旅に出る前、ガイドブックの代わりにその土地の歴史が書かれている本を読むようにしている。そういう物語や歴史書にはページをめくればすぐに安宿がみつかるガイドブックのような便利さはないが、そこで起こった過去の出来事や街や文化の成り立ち、人の感情などとじっくりと向きあえる深みがある。

 

 今回、私は「ラスタファリアンズ レゲエを生んだ思想」というジャマイカ独自の思想運動のラスタファリについての研究論文が書物化されたものを読んだ。

 

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レゲエを生んだ街 キングストン

 

 島の東南に位置し、商業と文化の中心である首都キングストン。ハーフウェイツリーと呼ばれるメインストリートは、プラザと呼ばれる小さなモールが数カ所続いている程度で、四国の約3分の2というジャマイカの小ささを想像以上に感じる。

 オフィスビルやホテルはニューキングストンと呼ばれる一角だけに集中して立ち並んでいて、その南側にあるダウンタウンにはスラムも多く点在し、ガンマンによる犯罪も少なくない。地元の人でも、夕方を過ぎて暗くなると歩かずに、必ずタクシーを使う。たくさんのルートタクシーやバスが小さな街中を往来しているため、朝と夕方は毎日のように渋滞が起きる。

 

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 タクシードライバーは最も手頃な仕事のようだ。若者も免許とボロボロの車があればその日から始められる。政府公認のタクシー会社もあるが、それはいわゆる観光客向けで値段も高く、地元の人はほとんど利用しない。

 乗り合いタクシーは運賃も$1前後と安い分、後部座席には4〜5人乗せて走る。一度、後ろに座った私の膝の上に 10歳くらいの子供が当たり前のように乗ってきた。びっくりしながらも私はなんだかその光景がおかしくて笑い出してしまった。 

 職種は一通りあるものの、物価はアメリカとさほどかわらず、海外から入ってくる大量生産の食品物が地元の農業や産業に深刻な影響を与えている現状もある。失業率は高く13%前後といわれているが、 ダウンタウンなどを歩いていると実際その数字より更に高く思えてくる。

 

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「ヤーマン!」トレンチタウンですれ違う人たちに声をかけられた。ジャマイカ固有の言語ジャマイカンパトワの挨拶だ。公用語は英語だが、ほとんどの人はジャマイカ方言で話す。その中でアフリカの言語と融合し、農民や労働者の間で代々受け継がれてきたものがパトワだ。

 さらその延長線上にラスタファリアンたちが話すパトワがある。それはネガティブな表現や発音を嫌い、例えばunderstandがoverstandになり、libraryのli(lie)がtrueになりtruebrary、appreciateのate(hate)がloveになりappreciloveなどとポジティブで愛らしい言葉を多く用いる。

 Weを "I and I" と言う表現などは、レゲエのリズムのようにどこか人の心を和ませる。"I and I" と口にしていると不思議と他人に対してのリスペクトが自然と生まれてくる気さえする。  

 

 ボブ・マーレーが若い頃住んでいたトレンチタウンの長屋を訪れた。トレンチタウンはダウンタウン同様、昔から貧しい人たちが多く住んでいる地域で、名曲‘No woman no cry’にも当時の生活の様子が叙情的に歌われている。 

 長屋の前には当時のままの空き地があり、日が暮れようとしていたが子供たちは必死にサッカーボールを追っかけている。その片隅ではなんとなく集まってきた近所の人たちが立ち話をしている。私はこの空き地がなんだかとても懐かしく感じた。 日本にはまだこんな空き地が残っているのだろうか。私はこの空き地が好きになり、子供たちに混ざって暗くなるまでボールを追っかけた。

 

 夜になるとスピーカーが積まれ、サウンドマンたちが音を出し始めた。2月のボブ・マーレーの誕生日ウィークはジャマイカ中でイベントがあった。スピーカーの前に立っている若者たち、サウンドマンを覗き込んでいる子供たち、空き地にできたバーでビールを飲む大人たち、時間が早くまだ人は少ない。

 私は空き地の真ん中にある大きな木の下にいた。誰に聞いても、木の名前も種類も知らない。ただ、垂れ下がっている細長い実がドレットロックスのように見えるので、昔からラスタツリーと呼ばれているという。この木はきっと生まれたばかりのレゲエがこのトレンチタウンでボブ・マーレーやその仲間たちによって成熟していく様子をずっと見守っていたに違いない。そんな事を思い浮かべながらしばらく目を閉じて流れる音楽に耳を傾けていた。  

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 1862年にアメリカでリンカーンが奴隷解放宣言をする約30年前、ここジャマイカでは長年の奴隷たちの抵抗によって奴隷制度が廃止されていた。そして、キング牧師が生まれる以前にジャマイカ出身のマーカス・ガーヴィーは世界に先駆け黒人民族主義の活動を始める。マルコムXによりブラック・モスリム・ムーブメントが一般に知られると時同じく、ジャマイカでは弾圧され続けたラスタファリ・ムーブメントの存在が知られるようになる。そして、ブロンクスのストリートからヒップホップが生まれるその少し前にキングストンのスラムからレゲエが誕生した。 

この小さな島国の魅力が少しだけわかってきた気がした。 

 マーカス・ガーヴィーがこの国の独立までの基盤を作った人物なら、おそらくボブ・マーレーという人物は今の国民の精神を構築した人に思える。キングストンの独立記念公園で行われた誕生日のイベントで大人から子供までが、"Don't worry about a thing, 'Cause every little thing gonna be all right!"と笑顔で‘Three Little Birds’を歌う姿を見ていると彼の存在の大きさを改めて感じた。 

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 ボブ・マーレーという人物を知らない人にも嫌いだという人にも会った事が無い、おそらく彼の存在や音楽には人をひきつけたり、癒したりする力があるのかもしれない。亡くなって30年以上が経つ、リアルタイムで感じられなかった事に歯痒さを覚える。なんだか大切なものはいつも過去になってしまっている気がする。それとも今あるものの大切さにただ気がつかないだけなのだろうか。

 その前日、‘No woman no cry’にも出てくるジョージ叔父さんと話した事を思い出した。今は87歳になる彼と彼の家の庭になっているライムの葉でお茶を飲んだ。

「ボブが亡くなって淋しいね」と言った私の言葉に、彼はゆっくりこう答えた

 「淋しくはないよ、、、、だって命は亡くなったりはしなから。ただ小ちゃくなって見えなくなるんだ。ボブも小ちゃく小ちゃくなったから私たちには見えないだけなんだ、、、だから淋しくはないんだよ」

 ジョージの優しい言葉の中にこの国の思想観を感じた。 

 


ブルーマウンテン 

 

 ジャマイカという国名は先住民の言葉で木(緑)と水(泉)という意味から由来していると言われる。この島は緑あれる森や山、美しい滝や川に満ちている。その一つに最高級のコーヒー豆で有名なブルーマウンテンという山がある。 

 お土産でコーヒーを買ってかえると「ブルーマウンテンってジャマイカなんだ」と言われたりする。意外にも知らない人が多いのかもしれない。 

 日本のUCC農園を訪れ、イギリス総督の別宅だった建物のテラスで本場のコーヒーを飲んだ。かすかに甘い味のするコーヒーが美味しくて、何度もおかわりしてしまった。 

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 最高級のコーヒーを生み出す秘密はジャマイカの年間を通して変わらない気候とこの山にかかる雲が降らす適度な雨にあるという。そういわれてみれば滞在中もほとんど毎日どこかのタイミングで一時雨が降っていた。そして一見山の中に無造作に植えられたコーヒーの木のまわりには適度にバナナの木が植えられている。土壌の余分な水分を吸収し、大きな葉で強い陽射しを適度に遮る役割がある。 

 女性たちに摘んだばかりの豆を見せてもらった。色とりどりの豆のなかには虫の被害をうけているものも多い。しかし、中国の最高級に選ばれたウーロン茶は虫がついた葉を摘んだものだという話を聞いたことがある。ここでも自然の力がそのようにして天然の甘みを作り、最高級の豆を生み出しているのかもしれない。 

 


ボストン・ベイ 

 

 ジャマイカ観光の中心であるモンティゴ・ベイなどによくあるオールインクルーシブ系のリゾートホテルを避け、ゲストハウスを泊まり歩いた今回の旅で唯一ボストン・ベイにあるGreat Hutsというロッジ形態のホテルに泊まった。 ボストン・ベイを見渡すように緑があふれる丘の上にあり、アフリカンスタイルの一つの集落といった感じで、その敷地内にはいくつかのツリーハウスやモンゴルの伝統的住居のゲルのようなものなど 独立した建物が森の中に大小14個点在している。 内装は自然のままの木や土、石などが使われていて、どこにいてもハミングバードの鳴き声が聞こえてくるような安らげる空間になっている。 

 

 ボストン・ベイは 、ジャマイカの名物料理であるジャークチキン発祥の場所で、ホテルの敷地をでるとすぐ、老舗らしき店が4、5軒並んでいる。観光客も少なく小さくて綺麗なボストン・ベイはジャマイカでは少ないサーフポイントでもある。

 ビーチの両脇にテントや小屋を建てて暮らす若者たちがボードのレンタルをしてくれる。若者の一人オマールはココナッツの皮でフォークやスプーンなどの工芸品も作っている。それはロッジの朝食にも使われていて、そのぬくもりは朝から優しい気持ちにしてくれる。 

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 サーフィンをした時、手ぶらでビーチまで行った私に「レンタル代は後で良いから早くやりなよ」と彼は言ってくれた。後で戻ったが彼らはいなくて、結局次の日の夕方にお金をもってビーチに行った。戻ってきた私をみて、オマールは少し驚き、友人のムンガは相変わらず隣でガンジャばかり吸っている。 ジャークチキンをみんなでつまみながらしばらく海をながめていた。サーフィンを初めてするような観光客の中にはお金を払いに戻ってこない人も少なくないらしい。彼らがホテルに入り口まで聞きにいくと その人たちはもうチェックアウトしたと言われるそうだ。ローカルへのリスペクトなしで、その時その場を楽しむだけの観光客が多いのは容易に想像がつく。地元の人たちにはそんな観光客はどう写っているのだろう。 

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ラスタコミューン 

 

 キングストンから車で東に約30分走るとブルベイという小さな町に着く。そこから山道を更に20分程進むとボボヒルというラスタコミューン(ラスタファリアンが団体生活をしている場所)がある。ボブ・マーレーの寄付によりできたナイヤビンギセンターなど他にもいくつかあるラスタコミューンの中でもここボボヒルが一番戒律の厳しいコミューンで、真の目的であったアフリカ回帰を今でも掲げている。ここで生活するラスタファリアンはみんなターバンをしていて、普段は自分の身長より長いようなドレットの髪もそのターバンの中にしまっている。 

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 入り口で門番に挨拶をすると脇にある小さな小屋に連れて行かれた。そこで受付をし、訪問の理由を聞かれた。さらにまるでこれから飛行機にでも乗るように、身につけているものや携帯を置き、わざわざ着ていった襟付のシャツはズボンの中に入れさせられ、ポケットの中身を空にした後、その場で短い祈りをささげた。 

 その後、外に出て正午に行われる祈りに参加した。小さな広場の中で延々と聖書を大声で唱えつづけるける純真なラスタファリアン。時折ジャー・ラスタファライと叫び、心から神の存在であるハイレ・セラシエを讃えていた。私もその横に並んで復唱した。汗をかきながら一生懸命聖書を読んでは捲るラスタの人を横目で見ながら、 私は少しがっかりしていた。400年以上続いた植民地支配の末、ラスタ思想が生まれたのは必然であるように思う。奴隷時代の唯一の書物である聖書が彼らの宗教的思想の基盤となるのもわからなくはないし、独自の解釈があってもおかしくはない。ただやはりどこか皮肉に思えてしかたがない。そんな事を横で考えているのを知ったら彼らは怒るだろうか、それとも傷つくだろうか。しかし、私が見たかったのは彼らの宗教的側面よりも、その生活スタイルだ。 

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 コミューンの中を歩いた。ここは100人ほどが暮らしている大きなコミューンなので電気はかろうじて通っていたが、それに頼っている様子は感じられない。わずかな現金収入はハーブやルーツで作る健康ドリンクや山にある木で作る工芸品などを街やビーチで売って得ている。そして、豆の野菜スープやコーンのお粥、焼いて食べるバナナにブラットフルーツやアキなどのフルーツ、アイタルフードと呼ばれる彼らの食事は美味しくて身体にいいものばかりだ。

 ボボヒルのラスタの生活はいたってシンプルで野菜は畑で育て、フルーツは山中に植えてある。菜食主義者でありお酒もタバコもしない彼らにとって山での自給自足的生活は快適にさえ見えた。

 ジャマイカの山々には昔、逃亡した奴隷たちが山に隠って生活をしながら、果敢な抵抗運動をしたという歴史がある。マルーンと呼ばれた彼ら逃亡奴隷は奴隷制廃止の約100年も前に大英帝国から自由と土地を自ら勝ち取って山での生活を続けた。ジャマイカにアフリカの文化が色濃く残るのはその為だと言われている。そして、度重なる弾圧から逃れた ラスタファリアンたちが今こうして山での生活を引き継いでいる。 

 

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School of Hope 

 

 キングストンの宿に置いてあった土産物が気になってそれを作っている場所を訪ねた。 キングストンのはずれ、ブルーマウンテンの麓にある School of Hopeは知的障害者の学校で、ジャマイカでできた最初のNGO団体でもある。 

 学校では日本のジャイカというボランティア団体が土産物にあったコーヒー豆のジュエリー作りサポートしていた。他にもクラフトやアート、音楽や手芸、料理など様々な職業訓練もしていて、子供たちは好きなものや得意な授業を受けていた。しかし、実際の就職はただでさえ失業率が高いこの国で障害を持つ彼らにとって相当厳しく、ほとんどの生徒は卒業後も仕事を得られないという。 

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 宿で知り合った日本人の若者2人がこの日はたまたま私に同行していた。音楽の授業を見学した時、先生はこの2人がレゲエシンガーがとわかると、 たちまち教室にドラムやキーボード、ベースにたくさんのジンベイを用意して、一緒にジャムろうと言ってきた。

 突然の訪問にもかかわらず、あっという間に始まったレゲエセッション。学校中から先生や生徒たちがやってきて大いに盛り上がり、途中マイクが一人の生徒に渡された。その一人が 歌い出すと次々と他の生徒たちにマイクがつながれていく。自分の言葉を自分の声で音とビートに合わせて歌い出す、その言葉にみんなが反応してますます盛り上がる、ラバダブの始まりだ。

 うまく歌える子もなかなか歌い出せない子もみんな歌いたい伝えたい想いを持っている。レゲエのビートがそんな生徒たちの心を揺さぶり続けていた。この島にふりそそぐ太陽のようにレゲエという音楽はこの島に深く染み込んでいる。 

 


ガンジャ 

 

 ガンジャ(マリファナ)はほとんど何処へいっても買えるし、吸ってもいる。もちろんジャマイカでも違法なので、吸ったり、買ったりしているのが警察に見つかれば逮捕される 。近年ジャマイカでもタバコの値段が急騰しているので、ガンジャを買う方が安いこともある。ジャマイカにいると、毎日のように誘われたり、買うかと聞かれたりする。ボブ・マーレーが生まれたナインマイルに行った時には、博物館の中でもジョイントが買え、多くの観光者はガンジャを吸いながら博物館やボブが生まれ育った部屋を廻るというジャマイカならではノリと光景だった。 

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 ガンジャには、更にドラッグに発展する可能性や犯罪の懸念を持つ人もいるが、この国の人たちを見ているとそれはそれほど感じられない。むしろ、ゆったり、まったりしていて、世の中の早すぎるスピードには無関係といった感じでリラックスしている。結局、ガンジャに関係なく犯罪もドラックもする人はするのだろう。

 

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 アメリカでもアルコールが規制されていた時代はあったのに、今は当たり前のように飲まれている。これをまた規制すれば飲酒による交通事故や家庭内暴力は減るし、犯罪だって減るだろう。犯罪を懸念するというならとっとと銃規制をしてもらいたい。もちろん、私はガンジャ愛好家ではないが、今まで持っていたガンジャに対する価値観が、ジャマイカに来てだいぶ変わったのも事実だ。つまり、ラスタファリアンの重要な行いの一つでもあるように、ガンジャはもうこの国では完全に文化として存在している。文化を否定するのはナンセンスだ。差別や虐待のような文化ならば、それを法で規制しなければいけないと思うが、そうでない文化の法的規制に対しては意味を感じない。 

 

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ラスタ 

 黒人民族主義者のマーカス・ガーヴィーが唱えたアフリカ回帰などの思想をもとに、彼の ‘アフリカに黒人の王がつく時、その人こそ救世主となる’という演説どおり、エチオピアの王位についたハイレ・セラシエを神、ガーヴィーを予言者とし1930年代にジャマイカで誕生した宗教色の強い思想運動。その後、ボブ・マーレーにより世界中に知らされた。

 ナイヤビンギと呼ばれる儀式の時には一晩中、太鼓を叩いてチャント(賛美歌)を唄いガンジャを吸う。旧約聖書の教えに従い、身体に刃物をあてず、聖なる草をとおとぶ彼らの象徴はドレットロックスとガンジャとなった。ジャマイカの緑と太陽の金色、独立までに流れた血の赤色の3色もラスタカラーもまた彼らの象徴の一つである。 

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マーカス・ガーヴィー

 奴隷制度が廃止されてもなお、植民地支配に苦しむジャマイカで生まれ、植民地からの解放やアフリカ回帰、黒人の権利などを訴え、後に世界中の黒人民族主義の先駆者となり、ネーションオブイスラムのマルコムXや公民権運動のキング牧師などに大きな影響を与えた。 本国ジャマイカにおいては彼を支持したガーヴィー主義者らによってラスタファリ運動が生み出されることになる。 

 

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レゲエ・ミュージック

 生音を基本にしたルーツレゲエとサウンドマンと呼ばれるセレクターとMCによるダンスホールレゲエに分かれる。フリースタイルで歌うラバダブやダンスホールレゲエの中にはクラッシュと呼ばれるサウンドマン同士の競い合いもある。日本をはじめ、世界中のサウンドマンたちがここジャマイカにオリジナルのダブプレートを作りにやってくる。クラッシュの世界大会で優勝したマイティークラウンという日本のサウンドマンたちはジャマイカではおじさんから子供まで誰でも知っているし、年に一度のダンスコンテストで優勝した女性はダンスホールクィーンと呼ばれ誰からもリスペクトされる存在になる。 

 

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<あとがき >

 

 嫌な想いを全くしなかったわけではない。どこへ行ってもジャパニズ!と大声で呼びつけられた。そう呼ばれてあまり気分が良くないのはどこか差別的なもの感じるからかもしれない。欧米の旅行者に対して、アメリカン!ジャーマン!ロシアン!などと言っているのは聞いた事が無い。そして、言ってくるやつは決まって男性で、しつこいやつには何度か文句も言った。その度にまわりにいた女性たちが私をかばってくれた。体調を崩して店先で休んでいた時には、おばさんたちが大声で私の為に怒りだした。旅に出るといつも女性の強さと優しさを感じる。しかし三度目の時、調子に乗っていた私は 周りに女性がいないのも知らず、文句を言って、逆切れしたおっさんとあやうく喧嘩になりそうになった。 それも今思えば、同じ島国でどこか親しみを持って呼んでいたのかもしれないとも思う。 

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 旅を終えて思う事がある。ジャマイカ国民の約9割は奴隷でアフリカからつれてこられた人たちの子孫だ。その彼らが素直で陽気で心優しい理由は南国の気候だけではないように思える。歴史の解釈は人や国によって異なり、その溝をうめるのは簡単ではない。富を求めるアジアの国々では今それにより至る所で領土問題が起きている。しかし、この島にはそんな富ではない豊かさが確実に存在する 。ジャマイカ国民は過去を忘れているわけではなく、それを乗り越えているのかもしれない。豊さの意味をもう一度考え直し、ONE LOVEと歌う小ちゃくなったボブ・マーレーの魂を今の私たち(I and I)は感じることができるだろうか。

 

 

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