HAITIAN MASSIVE EARTHQUAKE

Haitian report  -first chapter-

地震の爪痕   2010年5月

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 23万人という犠牲者を出した、ハイチ地震。4ヶ月以上経った今ではほとんどニュースや新聞では目にしない、人々の記憶からはもう過去の出来事として薄らいでいる、その一方で最貧国に残された震災のつめ跡は広く、深い。

 首都ポルトープランスから東に車で約20分走った郊外にベルマーという地域がある、ここに孤児院やシェ ルターホームが何カ所か隣接している。数ヶ月前、キリスト教バプティスト派の団体がハイチの子供たちを許可な く海外に連れ出そうとして人身売買の容疑がかけられた事件があった。彼らが人身売買に関わっているかどうかは別として、それだけ助けを必要としている大勢の子供たちがこの国にはいるということかもしれない。

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 ハイチでは、孤児院と呼ばれる所には養子が認められている施設と禁止されている施設との二つに分けられる。 その一つ、養子ができるほうの施設 H.I.S.Home For Childrenを訪ねた。中に入ってアメリカ人のスタッフが多いのにびっくりする。聞いてみるとみんなアメリカからのボランティアで、中には昨日着いた人もいた。大体、1,2週 間から数ヶ月のボランティア期間だそうだ。出迎えてくれた責任者の一人、クリス・ナンゲスター氏が案内してくれた。

 二階建ての施設の一番大きな部屋に10人の赤ちゃんたちが、それぞれ小さなベッドで寝ている。健康そうに見 える子もいるが、実際は彼らのほとんどは重度の病気と闘っていて、今すぐにでも手術が必要な状態なのだ。震災後、最悪の衛生状態のテントの中で生まれ、病気になってしまった子もいる。幸いにもこの子たちは、この孤児院や医療ボランティアグループのおかげで、近いうちにアメリカで手術を受けるという。

 一人の赤ちゃんが目にとまる。カルメロという名の男の子だ。年齢は約一才半だというが、身体は明らかに小さく、それに比べて包帯がゆるく巻かれている彼の頭は、通常の3倍ほどの大きさがある。重度のハイドロセファルスである。頭蓋骨の中に髄液がたまってしまう水頭症、同じ病気を持つ他の子に比べてもその大きさは倍近くあり、病気の深刻さが誰の目からもはっきりとわかる。 アメリカでの手術はいつ? という質問にクリスは小さく首を横に振った。

 「彼はアメリカには行かないわ、手術も受けない、この子は、もうすぐ死んでしまうの、、、、、」。 震災後、病院から病院へと渡り、母親もあきらめ手の施しようがない状態になってここに来たのだ。

 目の前にいるこの小さな小さな赤ちゃんがもうすぐ死ぬ、、、、、

 

 クリスの手が彼のの脇腹あたりをさすっている。お気に入りの場所らしい。目も見えず、耳も聞こえない彼にとって唯一残された皮膚の感覚。カルメロはわずかに寝返りをうってクリスに答えた。

 事実を受け入れられず、私はただ彼を観ていた。 彼の死を受け入れることは彼の生を諦めることになる。そんな想いを持ちながら、親指ほどの彼の手のひらにそっと触れてみた。お気に入りの脇腹をゆっくりとさすった。彼はいま生きている。当たり前だが、そう感じる。それが事実で、なんだかそのことがとても大切に思えた。

 

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 子供達は外で元気に遊んでいた。震災で両親を亡くしたり、親から養育をあきらめられた子供達だ。 

 彼らの半数以上はアメリカやカナダ、フランスなどに養子に行くことが決まっているが、現状の養子手続きには2年近くかかってしまう。法律では養子に行けるのは16歳までと定まっている。しかし、実際は12歳までがほとんどで、それ以上になると養子縁組の可能性はぐっと減ってしまう。

 ちょうど12歳ぐらいの男の子がいた。もしかしたら、彼はそのことを知っているのかもしれない。私がいる間、ずっと歳下の子供たちの面倒をみたり、新しく入ってきた子の世話を一生懸命していた。

 私が子供たちにレンズを向けると、彼は小さな子供たちを前に出して、自分は、スーとファインダーの外へと消える。

 そんな写真には写らない彼の姿は、この国で生きてゆくこと、そして自分の力で生きてゆくことをもう決意をしているかのように私の目には写った。

 

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 一人の女の子が近寄ってきて、私の頬にキスをしてくれた。もうすぐ12歳になるジュニアンだった。彼女のその振るまいが何処か大人っぽく感じた。

 クリスによれば、最近ようやく保護されたジュニアンは、それまでの4ヶ月のテント暮らし中で何度も性的虐待にあっていたという。彼女一人ではない。おそらくジュニアンのような見えない被害者が大勢いるだろう。そしてそんな彼女たちの多くは未だにテント暮らしをしている。 公園や空き地、ストリート、競技場や校庭、いたるところに数えきれないほどのテントが密集している。犯罪は頻繁に起こるが、警察も滅多に介入しない。国連の治安維持部隊も周りをパトロールするだけだ。

 クリスたちは養子にもいけないそんな子たちが、安心して暮らしていける家を今作っている。数週間後にで きるその家にはもうすでに5、6人の受け入れが決まっている。彼らの活動によって少なくても何人かの女の子は安心した生活が送れるようになる。

 どのような境遇にいても明るく強く生きている子供達がいる。まもなく死を迎える子が、数日後の未来を強く待ち望む姿がここにはあった。

 ハイチの未来を変えられるのは間違いなく彼らなのだ。 私たち大人は彼らの手助けになっているだろうか?少なくてもその妨げにはならないように。彼らを見てい るとそんな思いになる。

 


 

Haitian report  -second chapter-

NGOグループの活動と支援のあり方

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 震災以前からここハイチでは多くのNGOグループが活動し、震災後は更に多くの国際的な援助をうけ、確実な支援活動が続けられている。その一方で、支援に対する依存が、行政だけでなく地域住民にも蔓延し始めている。

 「物を与えるだけの援助は本当の意味での援助にはならない。この国に必要なのは、長期的な支援と彼ら自身が運営できるシステム作りだ」

 と韓国のNGOグループ、グッドネイバースのスタッフのアシェリー氏は語る。彼女自身も半年以上の滞在予定で、なかにはこの先5年間、ハイチで活動を続ける予定のスタッフもいる。彼らの存在は最も震源地に近かったここレオガンではとても頼もしく思える。

 現在彼らはハリケーンシーズンに備え、家を失った人の為に300棟の仮設住宅の建設に取りかかっている。シングルマザーや孤児、障害者が優先に入れる。3年以上の耐久性を持たせるためその家は、阪神大震災で使われていたものなどを参考にデザインが繰り返された。

 ハリケーンがくる9月前までに終わらせるため、作業は急ピッチで行われる。デザイナーはもちろん、資材や職人、大工まで韓国からくるというから驚きだ。

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 日本のNGOグループもここハイチでは大小合わせ10グループほどが期間的な活動を行っている。その一つで京都に本部を置く日本国際民間協力会(NICCO)。他のグループが一時的に日本に引き上げているこの時期も、首都の東に位置する高台の町ペンションビラでかれらの活動は続けられていた。

 「いろいろなことが以前に比べだいぶましになってきました。震災直後、目立つところだけに支援をして、 それっきりという団体もある。これからもそんな大手NGOグループの支援が届かないところに我々の手を差し 伸べていきたい」

とNICCOの第二期のプロジェクトマネージャーを勤めた中川氏は語る。

 NICCOの活動は始めに食料支援が行われ、そしてまもなく第二期の物資の搬入とトイレの設置も終わろうとしていた。

  調達されている物資のほとんどは隣国ドミカ共和国からで、国境を通過するだけで何時間も待たされる。そうして運ばれたビニールシートや木材などがテントやトイレの建設に使われている。

 かれらの作るエコサイクルトイレは、尿と便を分けて処理することにより、衛生面、環境面にも考慮されている。アフリカのマラウイで、このトイレの設置活動をしている秋本さんの指導のもと、ここハイチでも現地のひとたちが自ら作り、そしてその働きに対してお金が支払われる。

 これはここハイチでは地元出身のミュージシャンのWyclef Jeanが率いるYéle Haitiなどが精力的に行ってい るMONEY FOR WORK=働きに対して支払われるお金、援助と同時に雇用を生み出す、今までとは違う支援のやり方で、今世界中の貧困国や被災地で用られつつある。

 そんなNGOグループの大小さまざまな活動のもと、この国は復興への道をゆっくりと進み始めている。しかし、その一方でハイチの人々はそれにちゃんと答えているのだろうか?

 中川氏によれば、ようやく配給時に争わないで、列をつくり並べるようになったものの、協力して作ってもらった配給リストには、気がつけば制作者の親戚の名前ばかり書かれていたり、また配給時にだけ何処からかテントに人が現れるいわゆるゴーストテントと呼ばれるものも未だ多く存在しているという。

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 レオガンからの帰り道、ある男性と知りあい、崩壊した彼の家を見せてもらった。早く自分の家に戻りたいと語る彼にこんな質問を投げかけてみた。「さっき見たあなたの家は4ヶ月以上経った今も崩れたままの状態でした、、、あなたはそこの瓦礫をひとつでも運びましたか?」。彼は少し不機嫌に「No」と声を裏返し、そして逆にこう聞き返してきた。

「それをしたら誰が私にお金をくれるのですか?、、、」

 

 NGOの人たちが自分のことだけを考え、お金の為にこんな遠い国で活動しているとは私には到底思えない。その彼らをハイチの人はどう見ているのだろうか?

 貧困や震災のなかで暮らすここハイチの人たちは相当なタフさと強さを持っている。だた何かが欠けているのもまた事実だ。

 

協力 NICCO(社)日本国際民間協力会 http://www.kyoto-nicco.org GOOD NEIGHBORS USA http://www.goodneighbors.org/(English) 

 

 


 

Haitian report  -third chapter-

学校と教会 教育と宗教 

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 生徒達は眩しいくらいの白いシャツを着て、折り目がきれいに入った深緑のパンツを履いている。そういえば、ストリートやテントの周りでは必ずと言っていいほど洗濯をしている人や身体を洗っているひとがいる。ここハイチの人は意外なほど清潔好きだった。

 ポルトープランスの中心にあるセカンダリースクール、その校庭に建てられた仮設の教室で生徒たちは授業
を受けていた。私を見ると騒がしくなり集まってきては質問をあびせ、授業どころではなくなってしまった。

 明るく好奇心に溢れるその姿を見ていると彼らにとって学校の存在は大きく、大人が考えているよりはるかに希望の見いだせる場所なのだとわかる。

 この学校はおそらくかなりまともな方なのであろう。校庭や校舎に人が住み着いてしまって、仮設の教室すら建てられず、再開もできない学校も未だに多くある。そして学校にいけないでたむろしている子供たちをストリートでは目にする。細い路地裏を抜ければノートをひろげて勉強している若者の姿もある。どちらの子供達にも一日も早く学校が必要なことにはかわらない。

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 日曜日の朝、ストリートはいつもの騒がしさが消え、嘘のように静まり返っていた。この国の信仰心の強さのひとつの表れだ。ハイチでは95%のキリスト教信仰のうち80%はカソリックと言われている。一番大きなカテドラルと地元の教会に行った。

 崩れかかっているカテドラルの中庭では朝のミサが終わり結婚式が行われていた。ここにくる人の多くはミサの後、聖書の勉強会に参加する。老人から子供までいくつかのグループに分かれて、聖書を片手に熱心に耳を傾ける。学校の勉強では習わない道徳的なものをハイチの人たちは宗教から学んでいる。

 

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 教会には皆綺麗な服装でいく、おそらくこのなかで私が一番だらしない格好をしていると思われる。門をくぐったすぐ脇に物乞いをする老婆がふたり地べたに横たわっている。すぐ正面の大きなテントの下で大勢の人 がお祈りをし、彼らの前で司教たちは聖書を読む。やがて、始まった賛美歌の歌声に物乞いの老婆の声はあっさ りとかき消される。

 ここにいる大勢の人たちは何を祈っているのだろうか?そんな疑問を持った。世界中から見ても信仰心がかなり少ない日本人の自分には逆にニュートラルに近い状態で宗教に接することができる。

 建物のなかに一歩はいれば、壁や天井はは崩れ、ステンドガラスは割れ、懺悔室は潰れたまま、震災後ほぼ手つかずのままだとすぐにわかった。私のなかにはますます疑問がわいてきた。毎週多くのひとが祈りにここにくるが、どんだけ祈ってもこの崩れかけた建物は勝手にはもとには戻らない。彼らは何を祈っているのだろうか?

 

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 おそらく日本は世界中でみても便利で豊かだ、そんな社会のなかで暮らしていればもしかしたらそれほど宗教は必要ではないのかもしれない。かえせば苦しんでいるひとたちの為に宗教はあるのだろう。

 しかしその宗教がほんとうの意味で彼らを救っているのだろうか?助け合う、分け合うといった精神は今や弱き自分、貧しい自分たちが助けてもらえる、分けてもらって当然という気持ちに為り変わってしまい、祈ることに慣れてしまっている彼らは自分の力で乗り越えられる苦しみや悲しみがあるのも忘れてしまっている。
そんな教えは彼らにとって逆に足かせになっているとさえ思えてくる。

 もちろん宗教が大勢の人の精神的な支えになっているのも確かだ、またキリスト系のたくさんの団体がここハイチでもすばらしい活動をしている。ただハイチの人個人個人の意識はどうなのであろう?

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 私の通訳をしてくれたダーリンという女性がいる。彼女もまた震災でご主人を亡くしてしまったシングルマザーの一人だ。

 大学で学んだ会計学も経済活動がほとんどないこの国では役に立たず、タクシードライバーをしている。毎週教会にもいく。そんな教育も信仰もある彼女ですら平気で車からゴミを捨てる、気がつけば私のペンや携帯は彼女のバックのなかにある。確かに一つ一つはとるに足らないことにも思える、しかしその背景に常に私はある違和感を感じていた。

 二度目に車の窓からゴミを捨てた時に私たちは大げんかをした。一回目の時にもう二度としないと約束させていたからだ。彼女は忘れていただけだといったが、いっこうに拾いにはいかない。私は車を降りて拾いにいった。頭にきたので、ドアをおもいっきりバーンと閉めた。

 心のどこかでは悪いと思っていながらも彼女はけして謝らない。「大したことではないのになぜそんなに大きな声を出すのか」と私を非難した。ゴミを捨てたことより、それを拾いに行かない、大したことと思っていないことに腹がたった。

 「だから、この国の道にはゴミがあふれている。ハエがたかり、虫が湧く、そのなかで人は暮らし、子供は病気になる。誰も辞めなくても、まずは自分が辞める、それはきっと5ヶ月になる娘のクララのためにもなる。どうして気がつかない。母親なら子供の環境も考えろ」。車をその場に止めてしばらく話をした。

 これは彼女だけの話ではない、この国全体に蔓延している意識の問題だ。つまり今のままの学校教育や、教会で説かれている聖書の物語ではこの国の人の意識はけして変わらない。感じていた違和感が実感になった。

 タクシードライバーで働いている今もダーリンは窓からゴミを捨てているかもしれない。ひょっとしたら何度かに一度ぐらいは思い出してくれるているだろうか。


協力 Sacre Coeor Church, Sainte Trinite Episcopalian Cathedral, Rycee Pecron School 

 


 

Haitian report  -forth chapter-

高まる不満と未来への希望

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 「オバマ大統領にやってほしい」この国の今後について聞いたらこう答えた人がいた。同じカリブ海の島国プエルトリコのように、コモンウェルスつまりアメリカの保護領になることをみんな望んでいるという。彼の言葉は全てにおいて自分以外の何かに依存し続ける今のハイチの象徴に思えた。そしてこれが本音で、本当はそうなることが望ましいのかもしれない。

「AN NOU REKONSTWI... PI BYEN PI BEL... 」クレオール語で「This is your country. Let's make it better]と書かれた青や黄色のT-shirtを着てストリートを掃除している人たちがいる、復興活動に参加している 若者たちだ。この国で見た唯一の希望の色だ。

 その反対側の歩道を埋め尽くすように物売りの人たちが並んでいる。衣類、靴、帽子などのアメリカからの支援物資、崩壊したショッピング街からの流れ物も多くある。

 何故、平等に行き渡らなければならないはずの支援物資が道ばたで売られているのか?この国の腐った政治がそこには見え隠れする。外国からの支援金や物資が市民に届く前のどこかで消えてしまうようなことは、ハイチに限らず支援に頼っている国ではよく耳にする話だ。

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 ホテルのバーで会ったバルティモアの新聞記者はしきりにハイチ政府を非難していた。「Who took the money?」と繰り返す。もちろんその答えは大統領を含む多くの政治家であり、なんらかの権力者たちであるのはわかるが、無責任に非難をし煽るだけの彼のようなメディアの言葉に素直には頷けなかった。

 夕方になると水汲み場には大勢のひとが集まりはじめる。毎日、日暮れまでの1時間、ぼーとその水汲み場を舞台にした小さな世界、小さなハイチを見ていた。

 口のうまいやつは飄々と割り込みをする、綺麗な女は色目を使い、えばった男は力ずくでホースを横取りする。そしてそれをただす人もいなく、子供らははじき出されるたびに、しばらくまた、まわりで遊びだす。 列も作らなければ並びもしない、こんなところでもいろいろな権力が乱用される。これを見たら彼らの代表である政治家が私利私欲だけ考えているのは容易に想像がつく。

 日が落ちれば、あっという間にあたりは暗くなる。私とふざけて遊んでいるこの子供たちは、いつになったら水が汲めるのだろうか?

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 以前は貧困層からの支持もうけていた現大統領ルネ・ガルシア・プレヴァル氏にも実際は多くの国民は不満を募らせ、その任期が切れる2月まで待てず、今すぐの退任を望んでいる。この日も市の中心で、警察や各国の軍隊が衝突しながら大規模な反政府運動のデモが行われた。

 「政府は警察や軍隊にお金を払って、我々には何もしない」参加した一人が叫ぶ。しかし、そんな彼らの誰に聞いても次の大統領にふさわしい人の名前はあがらない。今のところおそらく誰がやっても大差はないのだろう。

 大体どの国の政治も多かれ少なかれ似たようなものだ。確かに不正を非難し不平等を叫ばなければ国民の声 はどこにも届かない。ただそれだけではこの国は負のスパイラルからは抜け出せない。小さくてもなんらかの行動が必要なのだ。地域内での助け合い、町ぐるみの協力体制、外国グループとの連携、政府を通さないでもやれることはいくらでもある。まずは一人一人が動き出すことだ。叫ぶだけでは変わらない。「AN NOU REKONSTWI... PI BYEN PI BEL... 」にはそんなメッセージが込められているのではないか。

 Wyclef Jeanの名を大統領候補にあげたい国民も少なくはないはずだ。ハイチ国民に絶大な人気を誇る地元 出身のミュージシャン、そんな彼が大統領になる日がくるのだろうか。

 Yé le Haitiを率いる彼はハイチの未来に必要な様々な活動をしている。国民の支持も申し分ない。確かに一国を変えられるのは、彼のようなカリスマ性を持った人物の出現が必要なのかもしれない。しかし今のこの国では彼は政治家としてはやってはいけないだろう。もちろん彼自身そんなことはわかっているはずだ。

 

 「もし私が大統領だったら、金曜日に当選して、土曜日に暗殺されて、日曜日には埋葬される、、、、」

そんな歌が彼のアルバムにあったのを思い出した。

 

 

 Wyclefの存在はハイチ国民にとって希望の光になっているのだろうか?多くの人たちにとってはまだそれはただの恵みの光にしかすぎないように思える。今、この国でどれだけの人が彼と同じように夢を持てるのだろうか、未来への可能性を信じれるのだろうか。

 彼らにあきらかに欠けているものは夢をみる心だ、そしてこの国にはそれを支える環境もまた欠けている。これからはその為の教育と環境、そして支援が必要なのだと思われる。

 未来を生きる子供たちのためにそうした礎を作るのは今であり、そしてそれは我々大人の役目である。そんな小さな希望のひとかけらを彼らに届けることを私も始めよう。大好きなミュージシャンが大統領になって活躍する。彼らが大人になる10年20年後にはもしかしたらそんなハイチが存在するかもしれない。

 

協力 Yéle Haiti http://www.yéle-haiti.org/

2010年 日本ルポタージュ受賞作品

    

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