Standing Rock #NODAPL Movement

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# NODAPL パイプライン建設反対ムーブメント

 

 ダコタアクセスパイプライン(DAPL)、ノースダコタ州からイリノイ州までつなぐ全長約1200マイルの石油パイプライン計画。別名ブラックスネイクというこのパイプラインは、当初の計画予定地を少しずつ変えていき、条約で決められているグレート・スー・ネーションの土地にも、いつの間にかに入り込み、現在のノースダコタ州、スタンディングロック・リザベーションと交差する場所で、地下へと潜って、ミズーリ川を横切りろうとしている。この場所には、ミズーリ川が作りだす貴重な水源湖レイクオアヘがある。つまり、一度事故が起こればこのあたり一帯の水質汚染が何世代にも渡って続いて行くことになる。その危険性を伴いながらこのDAPL計画は進んでいる。

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『WATER is Life』この言葉をスローガンに、DAPLに反対するスタンディングロックのネイティブアメリカン、スー族を中心に環境保護活動家たちがキャンプをしながら反対運動をはじめた。今年の4月から半年以上続いているこの#NO  DAPLの運動が、12月5日に大きな節目を迎えようとしていた。

 ノースダコタ州政府がキャンプの撤退を要請したのだ。その期限が12月5日。様々な理由と圧力の中、零下になる冬が到来してこれ以上キャンプを続けることは無謀だといったことだ。そしてこれはその責任は取らないという宣言でもある。キャンプ地に繋がる道路の封鎖や活動家へのプロパンガスの販売、救急車などの医療関係サポートなどを打ち切ることも示唆している。これらは人権を無視した一方的な命令としかいいようがない。

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 カナダとの国境に接しているノースダコタ州、その南部にあるスタンディングロックは、季節や天気が良ければミズーリ川の脇に広がる最高のキャンプ地やピクニックエリアだが、一度ブリザードが吹けば、極地にも近い厳しい場所になる。

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 撤退予定日を明日に控えた12月4日、前日に降った雪が地面を覆っているものの、空は快晴だ。川を挟んでパイプライン業者と向き合っているキャンプ地には、溢れんばかりの人たちが集まっていた。 アメリカ全土のネイティブアメリカンの各部族はもちろん、ベテランと呼ばれる退役軍人たち、環境保護団体、人権保護団体、サポーター、メディア、フリーメディア、老若男女のヒッピーたちそして各種ボランティアグループ。300NATIONと言われているほど、人種を超え、国を超えここに人々が集まっている。

 二か所ある入口では、セキュリティーグループが、車を誘導している。昼を過ぎるとひっきりなしに車が出入りを繰り返す。大型バスで乗り付けるベテラングループもいる。全体で、およそ7、8千人はいるだろうか。もしかしたらそれ以上かもしれない。メインキャンプだけでは入りきれず、他にもう2箇所のキャンプ地ができていた。

 

 医療専門のモーターホーム、集会場的なミーティングテントや食事を供給するテントが数カ所ある。寄付や物資もあつめられて当分は大丈夫そうだ。もちろんトイレも要所要所にあり、ゴミは数カ所にあつめられ定期的に処理されている。さらにはコンポストイレやスワローハウスなども建設されている。

 子供たちはソリや雪だるまを作って遊んでいる。犬の散歩をしている人たちも少なくない。ここは水質汚染反対運動の最前線というよりは、冬季オリンピック村のようだ。白人のグループが中心になってキャンプをオーガナイズしている。ここはもう村や町になろうとしている。強制的な撤去や封鎖こそ到底、不可能に思える。

 

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 #NO DAPLの反対運動が本格的に始まると州警察や雇われた警備隊は、ゴム弾や催涙ガスを打ち込み始め、冬になると零下にもかかわらず、反対運動の人たちに向けて、放水を繰り返した。 約7ヶ月に及ぶ反対運動の間で、逮捕者と負傷者は増えていった。70年代にスー族と州警察やFBIが戦ったウンデット・ニーの抗争さながらである。

 今、大きく違うのは、その伝わり方である。このような地方の小さな出来事が、ソーシャルメディアを通して、瞬時に全世界に広がっていく。それは、テレビや新聞、ネットニュースなどとも違う。それを伝えようとしているのは、自分となんらかの「繋がり」を持った人たちなのだ。そして、その知人や友人からシェアされる情報は、人を強く動かす。#NO DAPLの運動が大勢の人たちに共感を呼び、運動に参加する人たちが増えていったのは、そんなソーシャルメディアの影響が大きい。

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 この運動には以前から若い退役軍人たちが参加している。数日前、さらに2000人以上の退役軍人たちが、スタンディングロックに集まった。警察や警備隊の暴力から抗議活動者たちを守るためだ。武器も持たない市民にたいしての暴力行為が、元軍人であるベテランたちの正義感に火をつけたのだ。

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 集まったベテランたちは、抗議活動者を守る盾になろうとマーチをした。たくさんのネイティブアメリカンのベテランたちもレラティブ(親戚)たちの窮地に駆けつけた。年配のベテランはベトナム戦争の経験者、中年から若年層のベテランはイラクやアフガニスタンの経験を持っている。そんな元軍人たちが、#NO  DAPLに加わるために立ち上がったのだ。これは、複数の大手メディアにも取り上げられた。頼もしいベテランたちのマーチが映し出され、この窮地を救ってくれる聖人のような扱かわれた 。軍人として戦争を体験した人たちは、その後の人生で何かを背負って生きている人が大勢いるのだろう。ここに集まったベテランたちもそんな「償いの機会」を探しているようにも見えた。

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 キャンプ地の北には橋が架かっている。橋の向こう側は、この計画を推し進めたがっているEnergy TransferやSunoco Logisticsの会社が占領していて、手前に数台の車が見張っている。遠くに雇われた警備隊の車や州警察などが待機している。橋には、大きなコンクリートブロックが積まれていて、抗議活動者たちが渡ってこれないようになっている。

 昼過ぎ、その橋に向かって中年のベテラングループが行進してきた。アメリカンフラッグを抱えて、迷彩の軍服をきて掛け声をあげている。戦場にでも来たかのようなこのアグレッシブなベテラングループは、橋の手前で、抗議活動者たちで組織されたセキュリティーグループと衝突した。しばらくの間、緊張がはしり、ののしりあう声があがった。これでは誰が誰なのか解らない。ベテランだけではない、セキュリティーの人たちも長いキャンプ生活でストレスが溜まっているのだろう。取材中の私の背中を怒鳴りながら、数回押し叩いた者がいた。メディアが伝えないこの小さな現実に人間の姿が見え隠れする。

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 その場を一人のスー族の男性の言葉が制した。NODAPLの活動をキャンプ初日から支えるジャンピングバッファローの言葉が響いた。

「私たち(スー族)はこう考えている。貴方たちと私たちは家族であり、親戚である。ベテランの貴方たちは私たちのことを守ると言ってここにやってきた。戦いにきた。私たちはこう考えている。貴方たちが今戦おうとしている相手もまた、家族であり親戚ではないのか、しかも同じアメリカ人同士だ。貴方たちの気持ちはわかるが、どうぞここから戻ってほしい。そして私たちのこの活動がどうなるか、そこから見守っていてください。」

 彼は思いの丈を語った。私は話し終えた彼に、彼の語った言葉を讃えると、彼はこれは言葉でもスピーチでもなく、私たちネイティブアメリカンの生き方なんだと言った。私は自らを振り返りアイデンティティーと信念の欠落を感じざる負えなかった。

 

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 自分のテントに戻ろうとしているリーダー的存在のエルダーに、数人のスー族の若者が、相談があると言って追いかけてきた。「いつの間にかにスー族ではない者の許しを得なければ、キャンプにも入れなくなっている。」そんな現状を憂いた。つまり自分たちのこの運動は、いつの間にかに白人たちが仕切り、彼らのやり方でやり始めていることへの積もりきった不満を打ち明けたのだ。

 この運動は、スー族だけ、ネイティブアメリカンの部族だけではここまで、大きくはならなかっただろう。大勢のそれ以外の人たちの協力で今がある。しかし、ここでキャンプをしていると、なんだか、アメリカ建国当時の原風景の中にいるような気がしてくる。ネイティブアメリカンとヨーロッパから渡ってきた白人たちの関係性も、目の前で起こっている土地や資源の奪い合いも。そして、長老たちが平和的な考え方を望み、若者たちをなだめたことも。もしかしたら、人間は何百年も同じことを繰り返しているのかもしれない。

 

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 その日の夕方、スー族のチャアーマンであるデイブ・アーチャンバゥト2世が、政府管轄のUS Army Corps of Engineersが、今日、現状のDAPLの計画を認可しないことを決定したというアナウンスをした。オバマ政権の数ヶ月に及ぶ要請に、ノースダコタ州知事は「DAPLのルートの変更は実現不可能」と言って、今年いっぱいの政権交代まで時間を稼いでいた。大勢の人がこの状態のまま、トランプ政権になると思っていたはずだ。キャンプ地は歓声が溢れと歓喜に沸いた。夜には寒空の中に花火も上がった。

 

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 ただ、スー族の活動家たちや環境団体の人たちは、この発表を手放しで喜んでいるわけでもない。アメリカ政府がネイティブアメリカンに対しての略奪と欺騙を繰り返してきた歴史を考えれば、当然のことだ。しかし、今回のオバマ政権が下した判断は、これからの環境問題とエネルギー問題を考えていく上で、世界中の人々に小さな気づきを与えた大きな一歩になったことも紛れもない事実である。

 

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 キャンプの中心には、ネイティブアメリカンの昔からの話し合いの方法であるカウンシルファイャーが行われていた。火を囲んで誰でも自分の意見を言える。一人のエルダーの言葉がこの場を包んだ。

 「この活動は非暴力を貫けば、きっと成功するだろう。皆が無理にここに来たり、残ったりする必要はない。家や家族の元に戻ってください。そして自分の生活に戻り、その中でできることをしてください。」

 彼の言うとおり、この運動はここに集まることが目的ではない。実際にここに来れない人達のなかには、このパイプライン計画に融資している銀行の口座を解約しようという運動も生まれている。銀行に預けている自分たちのお金がこんな計画をサポートしていることに反対の意思表示だ。また、普通の生活のなかで、石油に頼る割合を少しでも減らすことも反対運動と言えるのではないか。一時のこのキャンプよりその方がずっと大切なのではないか。エルダーの言葉はそんなふうに聞こえた。

 

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 12月5日、キャンプ撤収予定日。予報より早くポーラーボルテックスと呼ばれるブリザードがキャンプ地を襲い始めた。反対運動の一つの成果が現れた為か、それとも大型ブリザードの為か、朝から大勢の人たちがスタンディングロックを離れはじめた。

その日の夕方、近くのカジノ会場で、もう一つの歴史的なイベントが行われていた。 元米軍の司令官の息子で、元兵士でもあるウェズ・クラーク・ジュニア氏が大勢の退役軍人を代表して、アメリカ軍がネイティブアメリカンに行ってきた過去の様々な略奪と欺騙、虐殺について、謝罪をした。ヨーロッパ系の移民を先祖に持つ白人のアメリカ人にとって、この歴史は心のどこかに刺さっている棘のようなものなのかもしれない。「今まで私たちアメリカ軍は、貴方たちの土地を奪い、命を奪い、言葉を奪い、尊敬も持たずに、嘘をついて騙してきた。」とクラーク氏は言い始めた。大勢の退役軍人たちがその後ろに従った。 彼は、謝罪の言葉を言い終わると深く頭を下げた。その頭にスー族のスピリチュアルリーダーであるレオナード・クロウ・ドック氏はゆっくりと手あてて、この許しを認めた。それは、彼らの心の棘を静かに抜くような行為だった。ベテランたちの目に涙が浮かんだ。

 

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 「ワールドピース」と数回訴えた後、レオナードは言った。「私たちがこの大地を所有しているのではない、この大地 が私たちを所有しているのです。」この言葉には深い意味を感じざるおえない。ベテランたちの謝罪は認めた上で、この価値観を共有できなければ、いつか同じことは繰り返されてしまう。この言葉の奥にはそんな思いが込められていたのではないだろうか。

 この謝罪で白人社会とネイティブアメリカン社会の溝がなくなるとは思えないが、確実に、新しい意識をもった時代がきている。

 キャンプを去り、自分たちの生活に戻っていった者 、残る者、戻ってくる者。スタンディングロック、今此処は人種、部族、国籍を問わず多くの者たちにとって自分の存在価値を見出せる聖地のような場所になっていた。

 

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<あとがき>

 ポーラーボルテックスが本格的になってきた。急いでキャンプ地を後にする。キャンプ地の出口から数百メートルのところで、ベテランたちを乗せてきた大型バスがスリップして3時間の立ち往生。ますます、吹雪はひどくなり、半数以上があきらめて、キャンプ地へと引き返した。

 幾度となくタイヤを滑らせながらやっと長い上り坂を超えた。その後、真横から吹き付ける雪で視界ゼロのまま進む。4WDではない私の車を見て、引き返すように何度も止められた。途中途中の路肩に2、30台の車が動けなくなり乗り捨てられていた。10メートル下の窪みで横転している車もあった。

 日もすっかり落ちて真っ暗に、ライトに照らされた吹雪だけ見ながら、州都のビスマルクまで約2時間の距離を8時間かけてようやく着いた。

 キャンプに入る前日に泊まったモーテルの横に雰囲気のいいステーキハウスがあるのを運転中に思い出していた。極寒のキャンプと運転の疲労で、モーテルにも入らずそのままステーキハウスへ向かった。バーやラウンジでは大勢の人が食後のお酒を楽しんでいる。

 テーブルに案内され、暖かいスープを飲みながら、分厚いサーロインが出来上がるのを待った。奥の部屋では、7、8人のグループが優雅に夕食をしている。会社のボスに連れてこられた部下たちと知り合いの数人の女性たちといった感じだ。

 なんとなく辺りを見渡していると店内のどの壁にも似たような大きな写真が並んでいる。撮られた年代はさまざまだが、どの写真もなぜかオイルフィールドを撮ったものだった。

 あ!と思った。

 その店の隅っこのテーブルで、すっかりステーキを食べ終えた自分がいた。抗えない現実社会の仕組みを突きつけられたようだった。

 オイルパイプラインの建設反対運動に行ったはずの自分が、スタンディングロックでのキャンプ生活を終えて真っ先にしたことは、オイルカンパニーが経営する店で食事をして、彼らにお金を落としたことだった。

 ほんの近くで行われている抗議運動など知ったことではないかというようにそこにいた誰もが、食事とお酒を楽しんでいるように見えた。あと数週間で、オバマ政権からトランプ政権へと変わる。束の間の喜びは遠に消しとばされ、嫌な予感が外の吹雪のように全身に纏わりつき、暖かいはずの店の中で、私はひとり身震いをした。

 

 数ヶ月後、トランプ政権の下で、あっけなくこの決議はひっくり返された。

 

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